
永遠のベストセラー、聖書、バイブルは・・・
1500年以上の異なる年月を生きた40人以上の異なる著者によって書かれた書物が一冊になった書物。しかも、その3分の1は預言です。
「聖書はすべて、神の霊感によるもの」(第二テモテ3:16)としか説明できません。
ですから、「主の書物を調べて読め。これらのもののうちどれも失われていない。」(イザヤ34:16)と宣言されています。
「それが書かれたのは、世の終わりに臨んでいる私たちへの教訓とするためです。」(第一コリント10:11)
「昔書かれたものは、すべて私たちを教えるために書かれたのです。それは、聖書の与える忍耐と励ましによって、希望を持たせるためなのです。」(ローマ15:4)
聖書が本当に神の言葉であるならば、全ての人間は、後で自分が間違っていたと後悔することがない、本当に豊かな人生を見つけるために、聖書を調べて読む必要があります。
聖書とは
- 著者は?
聖書は1,500年以上の年月を越えて40人以上の著者によって書かれた66巻の書物が1冊となったものです。時代をはるかに越えて生きた別々の人物が、一つの共通したテーマについて1冊の本を書きあげることなど、可能でしょうか。「聖書はすべて、神の霊感によるもの」(第二テモテの手紙3:16)というしか答えがありません。つまり、時代を越えて異なった人々を用いて、神ご自身が書かれたのです。聖書の中で、神はこう宣言しています。「わたしは初めであり、わたしは終わりである。わたしのほかに神はない。わたしが永遠の民を起こした時から、だれが、わたしのように宣言して、これを告げることができたか。これをわたしの前で並べ立ててみよ。彼らに未来の事、来るべき事を告げさせてみよ。」(イザヤ書44:6, 7) 全ての創造に始まり、人類の初めから終わりまで宣言できるのは、確かに創造主なる神しかいないでしょう。
聖書の著者は神、つまり、聖書が神の言葉である証拠は、ズバリ、「預言」だと言えるでしょう。つまり、神から預かって人が書き記した言葉です。

聖書を読めば、そこに書かれた預言が人類の歴史を通して過去100%の確率で成就して来たことがわかります。そして、今現在は、聖書の終末預言とそっくりであることがわかります。
カルバリーチャペル、チャック・スミス牧師による著書「最終劇」は、終末を舞台劇の最終幕にたとえて書かれた終末預言の本です。聖書にどのような預言が書かれており、それが過去どのように成就してきたか、そして、今私たちが生きている世界の終わりについて、聖書には何と書かれているのか、自分で確かめてください。
(ファイナルアクトからの抜粋)
私たちはなんとエキサイティングな時代に生きていることでしょう!神は私たちの目前で、国々と最近の世界情勢をお膳立てされているからです。神は、私たちの生きている時代がどのような時であるのかよくわきまえているように願っておられますし、期待しておられます。ですから神は、神のみことばの中に、約束されたイエス・キリストの再臨が近いことを認識する助けとなる数多くのしるしを私たちに与えて下さっています。クリスチャンとして、私たちはこのエキサイティングな時代に生き、この偉大なドラマが幕開けされるのを見る特権を持っています。
- 旧約と新約?
聖書は大きく、旧約と新約に分かれます。古い契約(旧約)と、新しい契約(新約)です。人類の歴史がキリストを境に紀元前(BC=Before Christ*キリストが生まれる前)と紀元後(AD=Anno Domini*ラテン語で主(キリスト)の日)に分かれているように、聖書もイエス・キリスト誕生前の旧約と、イエス・キリスト誕生後の新約に分かれているのです。
旧約では、神の選びの民であるイスラエルに対し、神がモーセを通して律法を与え、律法を守れば祝福され、律法を守らなければ呪われると語られています。また、神がやがて永遠に統治されるメシヤ*を送ってくださると約束しています。新約では、旧約で約束されていたメシヤ*が、イスラエルだけでなく、人類全てを救うために来てくださったことを示しています。(*ヘブル語ではメシヤ、ギリシャ語ではキリスト。いずれも救世主、やがて来るべき油注がれた王の王という意味の言葉です。)そして、律法によってではなく、イエスの十字架での死と復活を信じる信仰による義(神の前に正しいとされる)、つまり神の恵みによる新しい契約が書かれています。そして、罪と悪に満ちたサタンの支配する今の世を滅ぼし、愛と義によってメシヤ、キリストと呼ばれるイエスが支配される永遠の天国で生きる永遠のいのちを約束しています。
旧約39巻と新約29巻が1つのテーマでまとまって1冊の本となっているのが聖書です。
- テーマは?
旧約も新約も、中心となっているテーマは、神が送ってくださる救世主(メシヤ、キリスト)、つまりイエスです。旧約で、預言者イザヤを通し、神はこう約束されました。「ひとりのみどりごが、私たちのために生まれる。ひとりの男の子が、私たちに与えられる。主権はその肩にあり、その名は、不思議な助言者、力ある神、永遠の父、平和の君と呼ばれる。」(イザヤ書9:6)つまり、救い主は、人間として生まれる神ご自身であると言うのです。新約で、ルカはこう書き記しました。「イエスは、モーセおよびすべての預言者から始めて、聖書全体の中で、ご自分について書いてある事がらを彼らに説き明かされた。」(ルカの福音書24:27)また、イエスはこう宣言しました。「あなたがたは、聖書の中に永遠のいのちがあると思うので、聖書を調べています。その聖書が、わたしについて証言しているのです。」(ヨハネの福音書5:39)
つまり、聖書のテーマは一貫して救い主なる神、イエス・キリストです。
そして、「聖書はあなたに知恵を与えてキリスト・イエスに対する信仰による救いを受けさせることができるのです。」(第二テモテの手紙3:15)
聖書を学ぶ
- 聖書全巻とその執筆年代、旧約聖書および新約聖書の概要
(下の「聖書概要」をクリックするとPDFファイルで見れるようになっています。よろしければご自由にダウンロードしてください。)
- 聖書のテーマ=イエス・キリストについて
「イエス」とはヘブライ語で「神は救い」と言う名前です。「キリスト」とはヘブライ語「メシア」のギリシャ語で、よく救世主と訳されますが、厳密には「油注がれた王」であり、名前ではなくタイトルです。つまり、イエス・キリストとは、全人類の創造主であり救い主なる神であり、やがてくる世において永遠に王としてあがめれる神ご自身です。聖書を学べば、イエス・キリストは神であることがよくわかります。以下、旧約聖書の創世記1章と新約聖書のヨハネの福音書1章から。
はじめに神が天と地を創造された。地は茫漠として何もなく、闇が大水面の上にあり、神の霊がその水の上を動いていた。 神は仰せられた。「光、あれ。」すると光があった。・・・神は仰られた。すると、そのようになった。(創世記1章からの引用)
初めにことばがあった。ことばは神とともにあった。ことばは神であった。この方は、初めに神とともにおられた。すべてのものは、この方によって造られた。造られたもので、この方によらずにできたものは一つもなかった。この方にいのちがあった。このいのちは人の光であった。・・・ことばは人となって、私たちの間に住まわれた。私たちはこの方の栄光を見た。父のみもとから来られたひとり子としての栄光である。この方は恵みとまことに満ちておられた。・・・いまだかつで神を見た人はいない。父のふところにおられるひとり子の神が、神を説き明かされたのである。(ヨハネの福音書1章からの引用)
つまり、「ことば」によって全てを造られた創造主なる神が、人間にわかるように人間の肉体をとってこの地上に現れてくださった、それがイエス・キリストだと言っているのです。
イエス・キリストは、ご自身が神であると何度も宣言されました。イエス以外で自分が神であると言う人は、おかしなカルト宗教の教祖か狂人だと言えますが、イエスはご自身が神である証拠を示されました。絶対に疑いようもない神である証拠が示されたなら、イエスを神として礼拝する以外の選択肢はありません。そして聖書は、イエス・キリストを信じるか信じないかで永遠の行き先が決まると言っています。そうであれば、全ての人間が真剣に受け止める必要があります。

イエス・キリストがご自身が神であると宣言されたこと、そしてご自身が神である証拠を明らかに示されたこと、イエス・キリストを信じるか信じないかで永遠の行き先が決まることが、カルバリーチャペル、チャック・スミス牧師による著書「キリストの宣言」で読めます。
(キリストの宣言からの抜粋)
死は人間存在の終わりではありません。聖書には、人には一度死ぬことと、死後に裁きに会うことが定められている、と書かれています。その裁きの後、全ての人は永遠に天国に行くか、永遠に地獄に行くかのどちらかです。あなたの永遠の行き先は、あなたがイエス・キリストの宣言を信じるか信じないかによって決まるのです。
- 聖書が語る福音とは?
新約聖書の最初の4つは、4人の異なる著者によって書かれましたが、どれも「福音書」です。つまり、「福音」が書かれているわけですが、「福音」とは何でしょうか。「福音」とは、「良い知らせ」です。では、何が「良い知らせ」なのでしょうか。
つづく……